|
2005/11/14
創業100周年を迎えて |
 |
創業100周年を迎えて
2005年11月13日、東光園はおかげさまで100周年を迎える事が出来ました。
明治38年(1905年)の創業以来、お客様の変わらぬご愛好と、関係各位の絶大なるご支援ご尽力はもとより、伝統造園・園芸文化を伝えていただいた先輩方、協力会社の皆様、そして、従業員並びに役員の皆さんに心より厚く御礼申しあげます。
顧みますと、明治38年に私の祖父にあたる、初代東光園、田丸 亀吉が二十歳にもみたず、この渋谷に「渋谷東光園」を創業し、鉢植木などの生産・販売や造園業等を手がけていきました。その後、日本でも初めてといわれる鉢植木の賃貸(貸植木)を生業とし、貸植木部門を世田谷区下馬に広大な敷地を確保すると共に営業を拡大しました。
昭和15年には「株式会社東光園」に法人化し、昭和22年、造園部門を独立し「東光園緑化株式会社」が新たに設立されました。
そこまでには、震災や戦争で非常に苦しい時を経験しましたが、その都度不屈の精神で祖父 亀吉とその長男二代目東光園、田丸 實が弱冠32歳で、戦後の復興と今後の日本で造園緑化業の需要が著しく伸びるであろうという、先見の明で、それまでの貸植木部門との兼業体制を改め造園工事を専業とするために、発起人6名で発祥の地、渋谷に東光園緑化株式会社を設立しました。
最初の工事は、進駐軍の住宅の造園工事でした。その後日本経済も健著に上昇する中、当時でも珍しい機械化を率先して施工に取り入れていく等、常に時代の最先端を進んでおりました。そして最大の好景気となったのは、高度経済成長に伴う景気の上昇と、東京オリンピックと大阪で開催された万国博覧会の開催に伴う、会場施設の一部を手がけさせて頂いた事でしょう。又、昭和30年代後半には日本で始めての人工土壌を用いた人工地盤の緑化を手がけ、現在においてもそのパイオニアであることを自負しております。
しかし、常に順風できた訳ではございません。前述した震災や戦争、オイルショックにバブルの崩壊等数々の困難を乗り越えながら、その時代に沿った様々なニーズに答えられるよう常に精進し、今日の日を迎える事が出来た次第です。
新たなる発展を目指し東光園は名称を変え、世田谷から移転し、今、東光園の名を持つのは当社のみとなりました。このお客様から信頼頂き、伝統ある東光園の名を継承し名を汚さぬよう、この発祥の地渋谷で今日から新たに「新生東光園」として、常に人と人との心をつなぎ、お客様の心に感動を与える作品をもっと手がけることがあればと思っております。今日からまた一歩ずつ新たなる発展をめざす所存であります。
最後に、創業時は勿論のこと設立時に携わっていただいた方はもう既に他界されており、この時を一緒に迎える事は出来ませんが、ここに最大の感謝の念を捧げます。
これからもお客様そして関係各位におかれましては、末永いご指導ご鞭撻をお願いして、100周年のご挨拶とさせて頂きます。
平成17年11月13日
東光園緑化株式会社
代表取締役 田丸 敬三
創立50周年の記念撮影です。
前列右から5番目が、初代東光園 田丸亀吉。その右隣が妻 はな。
前列左から3番目が、二代目東光園 田丸 實。
前列左から2番目が、株式会社東光園 第3代社長 田丸恒雄。
(撮影:昭和33年3月6日)
(場所:渋谷の旧家にて)
|